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簗田 持助(やなだ もちすけ、天文18年8月15日(1549年9月6日) - 天正15年5月14日(1587年6月19日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。古河公方家の家臣。下総国関宿城、同国水海城(現在の茨城県古河市)城主。簗田晴助の子。子に簗田貞助。同名の簗田持助 (室町時代)の玄孫にあたる。 == 経歴 == 天文18年(1549年)、古河公方家の家臣・簗田晴助の子として誕生。 永禄10年(1567年)に父・晴助の出家により家督を継ぐ。当時の晴助は後北条氏が擁立した足利義氏を古河公方とは認めず、上杉謙信や佐竹義重らの支援を受けて、北条軍に対して徹底抗戦をしていた。しかし、天正2年(1574年)、ついに関宿城は陥落して晴助親子は助命されたものの、支城である水海城に追放される。その後も佐竹氏の援助を受けて抵抗するが、足利義氏の説得に応じて(北条氏照の仲介を受けて持助から降伏を申し出たとも)、義氏の元に出仕して、筆頭重臣として仕えた。 天正10年(1582年)に義氏が死去すると、その葬儀を執事として執り行ったが、直後に関宿城は親北条氏の簗田家中の一派に奪われたため、持助は再び北条氏と対立した。 天正15年(1587年)、死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「簗田持助 (安土桃山時代)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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